そんなわけで、おかやまマラソンが終わってから結構経つんですが思い出した部分だけでも記事にしてみました。
そもそも、私がおかやまマラソンに参加しようと思ったのは第1回の2015年「おかやまマラソン」をテレビで観て自分でも走ってみたいと思ったことがきっかけでした。
早速、エントリーして2016年に初参加したものの18㎞のあたりで関門に引っかかりリタイアする結果に。
悔しいやら情けないやらで、『次こそは完走したい』と強く思いました。
2017年春、2017年の抽選に早速エントリーして、練習を開始。
でも何をやってたらいいのか全然わからず、とりあえず10㎞走れるようになろうというのが最初の目標でした。
大まかな練習は、
週末に市内のマラソンコースをゆっくり走る。
平日は自分で作った練習メニューを参考にしながらちょこちょこ近所の周り(自分で考えたコース)を走る。
後半からは、これに加えて筋トレ?軽い運動と食事と睡眠に気をつける様にしました。
また、場慣れしといたほうがいいのかなとも思いいくつかのイベントに参加しました。
●おかやまマラソンのエントリー前に総社市のハーフマラソン。→トイレに行っていたら10㎞の関門で引っかかりリタイヤ。
●9月にお隣の兵庫県まで出かけてマラソンのイベント(30㎞)に参加。→途中で腹痛の為3㎞くらいでリタイヤ。
●10月に岡山市内で開催されたマラソンのイベント(20~30㎞)に参加。→台風も近づいていて雨が降っていたけれどなんとか時間内ギリギリに20㎞走り切ることができました。
9月の兵庫県のイベントで自信を少し失ってしまっていたけれど、10月の岡山市のイベントで自分でも20㎞走れるんだ。(しかも雨の中!)という自信が得られた。
その後、15㎞の練習をしてまた少し自信をつけた。
ただし、その後から足(前のふとももあたり?)が痛くて、また息切れが早くて上手く走れなかった。
本番まで3週間くらいしかない時だったので結構焦っていた。
ネットで調べて、2日ほど安静にして少し足が回復するのを待った。
その後、足やおしりを中心とした筋トレ?をしたり、ご飯をカレーにしてみたり、水分(スポーツドリンク:BCAA入り)をとるように努めてみたりした。
筋トレはすごく効いた。筋肉痛にもよくなったけれど大会本番が近くマラソンの練習量も少ないので、筋肉を回復する法に時間をさいた。
無理はしない。
息切れ問題は、走り始めが苦しいので疑問に思った。落ち着いたら軽い後鼻漏?になっていることに気がついた。
前お世話になった、お医者様のところで鼻水止めと気管を広げる作用の薬を数日分だけ出してもらった。
この薬も効いた。鼻水でないので苦しくない。冷たい空気も吸うと苦しくなるので、レースの最初のほうだけマスクをかけて温かい空気を吸うようにしてみた。
息苦しくなくなった。途中から、マスクをすると苦しくなるのでしばらく走って体が温まってきてからは、マスクを完全に外した。
そして、なかなかに自信のないまま大会前日を迎えた。
前日は仕事があったので身内に我儘を言って受付を代理してもらった。
仕事が終わった後は、楽しみにしていたルパンティックシックスの公演を聴きに行ってきた。
仕事が少し長引いてしまい頭の30分が見れなかったのは残念だったけれど、残りが生で聴けて本当に嬉しかった。
MCの人が面白かった!
あと、また、自分の体調が治ってないんだなって思えることがあったのでそこは悲しかった。周りにも迷惑かけてるので…。
でも、前にも進んでると思える事と少しづつだけど年々あるのでもう少しお付き合いしたいと思っています。
帰宅後は疲れていてボーっとして明日の用意して寝た。
朝起きたら、実家から電話がかかってきて「間に合う?大丈夫」と心配の声をかけてくれた。
実家に自転車で行って朝食をとり、身支度を済ませて、身内の車で会場まで載せて行ってもらった。
会場に着くまでは、不安が大きかったけれどいざブロックの中へ入ってみれば、周りの空気もあいまって「よし、走るぞ」って思えてきた。
オープニングのイベントが終わってスタートの合図がなった。
当日は曇り空で、とても気持ちの良い天気でした。
スタートの最初は詰まるので後ろのほうの人はのろのろしてる。
のろのろしながら前にいた5:30のペースランナーの方々をロックオン★
走って5分くらいで、応援の方で「頑張れ!ラスト41㎞」(頑張れはあったか不明)という看板を掲げている人を見つけて吹いた。
今でも少し思い出し笑いしそうだけど、素敵なセンスの方だなと思った。
10㎞くらいまではペースランナーの方の後ろを一定のペースで走った。
10㎞地点くらいでペースランナーの方の前に移動。
前回は10㎞行かずに体がバテて歩いてしまっていたので、「変わったなぁ」なんて人ごとのように思っていました。
「前回の関門をちゃんとクリヤしたいな。」なんて思っていました。
へこへこ走りながらなんとか前回の関門を通過。
この後の事を考えるとワクワクもしたけど緊張した。
20㎞以降は少し辛くなってきたけれど、「岡南大橋までは行く」と思いながら走りました。
途中の和太鼓の演奏に元気をもらう。疲れてるのに和太鼓の音を聞くと体が動く不思議。
岡南ハピータウン?の手前あたりで、かなり疲れてくる。
少し歩き始める。
ペースが落ちてきて後ろから、5:30のペースランナーの方が来て追い越された。
これは絶対に食らいついていかないとまずい。と思い、必死こいて走った。
苦しかったけれど、何とか金魚の糞みたいにひっついていった。
周りのランナーも似たような状況だったので謎のやる気が沸いてきた。
岡南のあたりで、Oさん、Aさんが応援に来てれていた。
でも、必死の状態だったので、一瞬後ろを振り返ったぐらいで終わった。
後で聞いたら、やっぱり応援に来ていてくれたようで…。帰ってからメールを見て「ありがとうございます(´ω`*)」という気持ちになった。
岡南の大橋の手前で、応援の方から謎の飲み物をもらう。
フラフラしていてなんかぼんやりとしか覚えていないけれど、「左側に紙コップがいっぱい置いてあるわぁ…いただきます(´Д`)<ごくごく」
…炭酸の謎の飲み物でした。
パッケージが緑色で爪痕みたいな絵が描いてあったのは覚えてる。
5:30のペースランナーとの距離がどんどん離れて行きながら、そのまま岡南大橋に突入。
途中までは走って、厳しくなったら歩いてまた小走りを繰り返して真ん中付近に到着。
後ろのランナーの男性が携帯電話で「足のケアをしていたら20分くらい遅れた。次の関門に間に合いそうにないので、ラーメン食べる。」といった内容が聞こえてきた。
かなり動揺した。
せっかく岡南大橋にきたけれど、次の関門ってそんなに厳しい状態だったのか…。間に合うか不安になっていた。
折り返し後、ラーメン行きたかったけれど素通りして関門の時間を看板で確認した。
残り30分くらいあったので、とりあえず走ろうと気持ちを切り替えた。
そして道がフラットになったからなのか、謎の飲み物のおかげなのか、ランナーズハイってやつなのか分からないけれど、足が小走りではありますが前へ出る状態になる。
疲れもなんだか気にならなくて、「私、練習でも走ったことのない30㎞越えた。あと10㎞と少し!!やったるぞ~(∩´∀`)∩」
みたいな…。
そのおかげか、残り時間は、少し減ったけれど大体20~30分くらいまで最後のほうまで残っていた。
35㎞くらいからだいぶ苦しくなってきたけれど、周りの声援が本当に嬉しかった。
頑張れって言葉も好きなんだけど、特に心に残ったのが、
「おかえりなさい、あと少しでゴールだよ」っていう言葉と、抽選に落ちたであろうおじさんが、”足が痛い?気のせいでは?”みたない看板を掲げながら抽選に落ちたということを話されていたのが何だか凄く印象的だった。
この30~40㎞くらいはちょっと涙がでた。
就実高校が見えてきて、高架橋を登って行ってる途中で服の脇辺りの匂いを嗅いだら凄まじい臭いがした。
近づけないと分からないくらいだけど、人様に近づけたらいけないやつだなこれはと反省した。
デオドラント剤とは付けていたので後は下に何か一枚着てくればよかったと思う。次に活かす終了。
スタジアムまで何とかたどり着いて、トラックを走ったけれど本当に不思議な感覚だった。
トラックなんて走ったことがないし、完走できるのがいまいちピンと来なかった。
アンバサダーの方が皆にハイタッチをしてくれていて、私も臭かったけれど軽くしてもらった。臭かったらごめんなさい。
凄く嬉しくて、ピンとこなかったものがピンときた気がした。
そのままゴール。
私の前をテレビ局の方が走っていてゴール後ガッツポーズをしていた。
私も「よしっ」みたいなポーズが自然に出ていた。
タオルとメダルと参加賞をもらいチップを回収してもらった。
出口で完走証をもらった。すぐに、完走証が出てきたので驚いた。
もう走りたくないって思うことも一瞬あったけれど、走り終えてみたらまた走りたいなって思っている自分がいる。
走る事以外でも何か色々とやりたいなって思えてくる感じです。
来年もまた出れたら岡山マラソンに出たいな。